わたくしスミイ酸 12年ぶりのプライベートアルバムとなる「Imaginary Gamescape 1: Medieval」 を夏のコミックマーケット80 にてリリースします。8月13日 (2日目) 東地区 イ-24 b (東3ホール) です。全23曲、すべて新しく書下ろしました。
このアルバムの曲は、普通に旋律とリズムとコードのある、さして先鋭的でもない音楽です。 似たような曲がすでに巷に溢れているのに、はたして新曲を書く必要があるのでしょうか。 いままで僕は、それが特定の目的のために必要とされている場合には書いてきました。 たとえばラヴソングの場合は捧げる相手を惚れさせるために、一所懸命カスタマイズして書くわけで、 ゲームのBGMや劇伴(映画やドラマ、アニメなどの伴奏音楽)の場合は、 あるシーンの演出効果を最大限引き出すことを目指して制作します。 ところが、本作「架空のゲームの音楽」の場合、音楽の目的を限定する原作が実際には存在しない。 なのになぜ原作をでっちあげてまで書くんでしょうね。
僕はコンピューターゲームが好きで、ゲームの音楽が好きで、おそらく世の中には同じように思っている人がたくさんいるんだと思います。 そして、本作のジャンルは紛れもなくオーソドックスな「日本のゲーム音楽」であると思います。
多くの場合、シンセサイザーによる打ち込みで、あまり有機的でないキチっとしたノリ。ボーカルのないインストルメンタル。 80年代のファミコンやFM音源によるBGMを受け継いできた音楽スタイルです。こういった音楽が好きな人間としては、原作がなくてもゲームのBGMは成立するし、 それはつまりもう劇伴じゃなくて、そういうジャンルなんだと思います。
本作はすべてコンピューターで作られたシークエンスです。生演奏は入っていません。といってもシンセサイザーっぽい音はほとんど使わず、生楽器のサンプルで構成されています。 無演奏、完全編集。 僕から見ると初音ミク(ヴォーカロイド)の文化も似てると思うんですけれど、 すべてを自分一人で作って出音を完全にコントロールしたいという欲望なんじゃないでしょうか。 音符のタイミング、強弱、アーティキュレーション、すべてエディットしてます。いじっていない音はたぶん一つもないでしょう。時間がかかる割にはわりと不毛な、趣味の領域の作業ですね。不気味の谷越えへの挑戦。もちろんまだまだイジリ足りません。
話は変わりますが「断片的な光景の寄せ集め」という形態は、19世紀のロマン派の標題音楽の組曲そのものなんですね。こんな名作と比較しちゃいけないですけれども、たとえばムソルグスキーの「展覧会の絵」やサン・サーンスの「動物の謝肉祭」。 標題はあっても、オペラほどの生々しいドラマとストーリーがないっていうバランスは僕にとっても心地よい気がしています。
